なぜレコードを聴くのか。格好をつけたいから?

ネット上の注目を集めることが優先され、音楽づくりが大量生産へと向かうなか、レコードは音楽を選び取るフィルターとして戻ってきた。そこから見えてくるのは、おすすめシステムと、聴き手による選別との違いだ。

この疑問を投稿する人は、いつもいる。その問いには、レコードで音楽を聴くという行為への戸惑いも、どこかに含まれているのだと思う。

最近、いいと思える曲を見つけるのが、以前ほど簡単ではなくなった。そう感じている人は、どのくらいいるだろう。ネットでは「今の曲はどんどんつまらなくなる」という不満をよく見かける。一時期は、今と昔の歌詞を比べることも流行った。そこには「最近の音楽は本当につまらない」という、広く共有された気分が表れている。

でも、なぜなのだろう。「跳楼机」のような曲に耳を汚されたとぼやくとき、その理由を考えたことはあるだろうか。

私は短い間、インターネット企業でレコメンドシステムの仕事をしていた。その経験から考えると、大きな理由は、音楽が「聴き手に向けてつくられるもの」から「ネット上の注目や再生数を獲得するためにつくられるもの」へ変わったことにある。そうした仕組みのなかでは、おすすめシステムの中心を占めるコンテンツが、人々の関心の中心も占めることになる。

どういうことか。「注目や再生数のために音楽をつくる」とは、何なのか。

その中心にあるのはデータだ。曲は数字のためにつくられる。「いいね」の割合、保存数、コメント数など、さまざまな指標がある。でも結局、それらはすべて一つの目標に奉仕している。どれだけ広く拡散されるか、ということだ。

こうなった背景は複雑なので、ここで深く掘り下げるつもりはない。簡単に言えば、道具の進歩で制作のハードルが下がり、ネットによって反応が即座に返ってくるようになった。音楽づくりは、中身を磨くものではなく、数字を追う商品を大量生産するものへと変わった。制作の効率と即時のフィードバックが、見事な循環をつくっている。その循環を動かす原動力が、注目を集めることで得られる報酬なのだ。

自分なりに観察していると、音楽市場全体の制作の論理は、2018年頃を境に転換したように思える。聴き手に向けて音楽をつくっていた時代、たとえば2010年以前の中国語圏のポップス、あるいは1960〜70年代の欧米の音楽では、つくり手が音楽を生み、聴き手がそれを聴き、そこから流行が生まれた。音楽の人気は、聴き手が選び取った結果だった。

ところが、注目や再生数を狙う制作では、聴き手というフィルターが取り外される。その代わりになるのは、おすすめシステムや各種ランキングだ。聴き手は選ぶ側ではなく、コンテンツを受け取る側になる。つくり手が直接狙う相手も、おすすめシステムになる。創作の目的は、根本から変わってしまった。

二つのつくり方の違いは、ここにある。従来のレコードは、発売してから市場で評価が定まるまで、とても長い時間がかかった。その長さゆえに、つくり手は安易に制作を進められなかった。経済的に見ても、負担は非常に大きい。しかし、反応がすぐに返ってこないからこそ、よい作品を磨き上げる時間があった。少し強く言えば、市場の反応が読めないことが、かえって音楽の質を押し上げていたのだ。

ここまで話して、なぜレコードなのか?

レコードそのものが、一つのフィルターだからだ。その仕組みは、つくり手にとって市場が不確実であることから生まれる。レコードを制作するまでの工程全体が、私たちのために音楽を選別してくれる。さらに、お金がかかるからこそ、自分でも慎重に選ぶようになる。安いレコードなら、普段は聴かないジャンルにも手を伸ばしたくなる。そうして聴く音楽の幅が広がり、それまで聴いてこなかった、本当にいい音楽に出会える。

少し前、北京のレコード店「水果店」で買い物をしていたとき、店員さんにぼやいた。「最近はいい音楽を見つけるのが難しくて、とうとう音楽史の本を読み始めましたよ。本に出てくる音楽を聴くために」。店員さんは笑って、「確かにそうですよね」と言った。

では、今の時代によいつくり手がいないのか。もちろん、そんなことはない。それなのに、なぜ私たちの耳に届かないのか。本当に優れたつくり手が、おすすめシステムのなかに埋もれてしまうからだ。今も聴き手に向けて音楽をつくる人たちは、その生き残り方が時代とずれてしまっている。よい作品を届けているのに、次の「跳楼机」に負けてしまう。まるで刀や槍で爆撃機に立ち向かっているようなものだ。

私自身のレコード購入の経験で言えば、買えたレコードには、ほとんど外れがなかった。ただ、それらの音楽は、少なくとも20年以上前のものでもある。

最近は若い世代のアーティストも、レコードを出すようになっている。そこには、別の変化の兆しもある気がする。レコードは音楽を届けるメディアから、注目を集めるためのメディアへ、音楽作品からグッズへと変わりつつあるのかもしれない。

最後に。私は業界の人間ではない。ただの音楽好きとして、聴くなかで感じたことを書いているだけだ。